スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2011年02月15日

多々良川の水鳥

福岡市の東区では和白潟が水鳥飛来地として有名ですが、多々良川も
カモなどがたくさんやってきます。中州の小島は野鳥の繁殖地で一年を
通して多種の野鳥を観察でき、今の時期はよくカメラを向ける方をよく
見かけます。今は冬枯れの土手ですが春が来れば新緑の自然のメドウを
見ることが出来ます。また東区のブロガーの三日坊主さんに教えていた
だいた名島橋鉄橋脇の小さな浜のあるところは昔の渡し場だったところ
だそうです。





この中州はヨシが茂って野鳥の繁殖地になっています。



明治より以前はここから渡し舟が出ていたそうです。

  


Posted by メドウおじさん at 16:33Comments(0)庭にやってくる鳥たち

2011年02月15日

名島城址二の丸、三の丸跡

昔の名島城は多々良川手前の都市高速道路下が掘割になっていて
北側の丘陵が今は名島神社のある本丸で南側の丘陵から三の丸団地
にかけてが昔の二の丸、三の丸になっていました。昔の二の丸の
あった周辺は住宅地になっていますが、住宅地の中の小公園に
二の丸という名前が残されていたのと三の丸との境に荒地と緑地が
残っていたので気になっていってみると、崖沿いに空掘りのような
窪地が残っていました。三の丸跡地の碑文は二の丸崖下に続く団地
の隅に碑文がひっそり残されています。
この丘陵から多々良川に向かっての場所が旧の城下町だったようです。
国道事務所の裏から3号線へ抜ける通りに名島の商店街が続いてい
ますがこのあたりが、かつての城下町のメインストリートだと思わ
れます。微妙なカーブにその面影を感じます。
またこの近くにはこの地の英雄の岩見重太郎生誕地の記念碑も
あります。



三の丸団地の片隅に建てられています。


三の丸団地北側の丘陵一帯が二の丸跡地です。すっかり住宅地になっています。



二の丸丘陵の端に掘り切りのような窪地が残っています。



住宅地の中に二の丸を偲ぶ空き地が一部残されています。
写真の藪のあたりに防塁のようなものが残っています。
  


Posted by メドウおじさん at 08:34Comments(0)街の紹介