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2011年06月22日

けんちゃんの村

「フレッシュフーズのけんちゃんの村」東谷地区6千人の台所を
支えるお店です。前身は石原町駅前にあった農協ストアだったの
ですが10年近く前に農協がストアを閉店したときにストアに入っ
ていた野村精肉舗さんが中心となって新たにストアを起こされました。
今は日野の国道沿いに店を拡張移転し東谷地区唯一の食品ストアとして
がんばっておられます。目玉は産直の新鮮野菜に美味しい小倉牛と
新鮮な魚介です。そのほかにもお菓子、のみもの、おそうざいと
何でもそろいます。また日曜を中心に焼き鳥など実演販売のイベント
も多く、土、日曜は広い駐車場も一杯になるくらいのお客様でにぎ
わっています。新鮮な野菜を求めて小倉の街中からもいらっしゃる
お客様も多いそうですが納得できます。



  


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2011年06月21日

水神様

東谷地区の井手浦の集落の入り口に当たる場所が日野の集落です。
ここを流れる井手浦川の脇に私達が子供の頃水神様と呼んでいた
神社があります。小さい頃この水神様の前の川は小学校のプール
代わりでした。確か夏休みはここの場所だけは小学校公認で川遊びが
出来る場所でした。今も東谷川本流と比べると水もきれいですが
昔と比べると汚れていますし、水量も減っています。
そんな水神様のプールも小学校5年の時に中学校にプールが出来て
水神様のプールは閉鎖になり中学校のプールで泳ぐように言われました。






  


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2011年06月17日

小倉城

先日行った北九州市役所の隣に小倉城があります。正確に言うと
小倉城の敷地の一部の勝山公園内に市役所を立てたということです。
以前は確か、遊園地で小さなジェットコースターがあったように記憶
しています。さて、現在のお城の天守閣は昭和35年にCR製で再建
されたものです。小倉城の由縁は戦国時代に山口の大内氏が支配して
いた頃に現在地に縄張りされたようですが、城下町として発展したのは
1602年に細川氏が入府してからです。細川氏の治世は焼く40年で
したが現在残されている城郭の骨組みはこの時作られました。細川氏は
その後肥後の加藤家が改易されたため代わって肥後へ転封となり、その
後は譜代の小笠原氏が入りました。小笠原家の治世は幕末まで続きました
が長州の高杉晋作率いる奇兵隊との戦に破れ城に自ら火をかけ、田川の
香春方面へ落ちていきました。この時城主に代わって小倉軍の指揮を取り
困難な撤退戦を闘った若き家老の逸話が私のふるさとの東谷地域に残って
いますのでいつか紹介したいと思います。






  
タグ :小倉城


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2011年06月13日

北九州市役所庁舎

先日用事で北九州市庁舎へ行ってきました。
北九州市は確か来年か再来年に発足50年を迎えるはずです。
旧の門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市が対等合併で100万都市
がスタートしました。確か当時、九州初の100万都市誕生だったように
記憶しています。そんな華やかに出発した北九州市ですが合併当初は旧市
感情が強くなかなかまとまり感がなく、公害などマイナスイメージが
ついて回り、当初の市政を担当された市職員や首長の方は随分とご苦労
されました。現在は日本有数の先進エコ&リサイクル都市として有名です。
また門司港レトロ地区や紫川リバーウォークなど観光拠点も整備されつつ
あります。また、シティハンター、キャッツアイなどの北条司さん始め
多くの漫画家の方の出身地でもあります。
写真の市庁舎は5市合併のシンボルとした第2代谷伍平市長時代に合併後
1972年に建設されました。当初史跡の小倉城のある勝山公園内に建てら
れるということと合併時に取り決められた場所と違うところに建設すると
いうことで異論もあったようですが、現在は周辺のリバーウォークとあわせ
市民の憩いの場となっている様子を見ると先人の方の先見に驚かされます。





GPSの測量標です。久山町役場でも同じものを見ました。

紫川の川沿いはすっかりきれいになっています。
  


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2011年06月04日

若戸大橋

用事で戸畑に行って来ました今。洞海湾をまたいで戸畑と若松を
繋ぐ赤いつり橋が若戸大橋です。写真は戸畑駅のホームから撮った
ものです。若戸大橋は確か昭和の37年か38年に完成したように
思います。橋が出来る前は若戸渡船といい渡し舟が通っていました。
自動車は折尾から回り込まねばならず随分不便だったと聞いています。
大橋が出来てから何度か小学校の見学遠足で見に行ったように思います。
あの時は橋の見学とお菓子工場の見学をしたように思います。
工場全体に漂う甘い香りが忘れられません。(明治製菓の工場でしたが
2003年に撤去されたそうです)
駅の南口はイオンのショッピングセンターができています。ここには
以前日立金属の前身の戸畑鋳物㈱の工場があったところで記念碑が
残されています。




  
タグ :話かと


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2011年05月18日

天疫神社、春のお祭り

石原町の守り神の天疫神社の春のお祭りが5月1日にありました。
毎年この日は幟が立てられ、五色の花飾りで飾られた山車が集落の
子供たちによって引かれます。夏のお盆には盆踊りが踊られるなど
コミュニティの中心になっています。
境内には地区の公民館が建っていますが以前は神社のお堂があり
二本の大きな枝垂桜の木があったように記憶しています。





  
タグ :天疫神社


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2011年05月16日

豊前国刀工鍛冶跡

昔の農村には野鍛冶と呼ばれる村の鍛冶やさんがありました。
石原町の目倉には刀工鍛冶がおられました。
バス停の横に鍛冶場があり、ここから名作が鍛えられたのですが
残念なことに今はもう廃業されています。
古い北九州市の説明看板が今は残るだけです。
最後の刀工の方は皇室へ献上されるほどの腕前だったようです。
跡を継ぐ方がなく廃業されたのですが本当に残念です。





  


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2011年04月24日

石原町の砂防ダム

石原町の集落は旧国道沿いに多くの家が集まっております。
各家のすぐ後ろは隣の中谷との境の山地が走っていてこの山
の尾根と谷が数多くあり、谷筋は普段は小さな枯れ沢になって
います。ここで10数年前に一度集中豪雨で山の一部が崩れ民家が
被害にあいました。幸いにけが人はありませんでしたが、それ以来
一年をかけて砂防ダムが作られました。立派で頑丈なもので安心
なのですが、自然の力を敬いながらも油断大敵です。日ごろから
防災意識はしっかりと持ちたいと思います。







石原町から見える平尾台の山並みです。  
タグ :砂防ダム


Posted by メドウおじさん at 18:29Comments(0)ふるさとの風景

2011年04月19日

石原町の堤

石原町の集落で山ヶ迫に近い一組の九電の変電所のある裏山に農業用
のため池があり私達は「堤」と呼んでいました。
堤は2本の谷川が流れ込んでいて長径はゆうに100mはある大きな
ため池です。農業用のため池ですが今で言う土石流対策の砂防ダム
の役目もあったようです。この池には1mを越す池の主のコイが住ん
でいると言われていて私も何度も魚釣りに行きました。
ここのため池は急勾配で水深も深く遊ぶのは禁止されていましたが
それでも何度もこっそりと遊びに行ったものです。私は1mの大物は
見たことはありませんが50センチはゆうに超える大物の群れが回遊
するのは見ましたのであながちの噂だけではなかったのかもしれません。
堤は今も昔もヤブに囲まれた中にあります。ちなみにここから流れ出る
谷川にはかつては川エビ(藻エビ)やドンコがたくさんいました。



今は水位が低いですが急勾配の深いため池です。



ため池の放水口です。石組みが古いです。



オーバーフローしたときの放水路です。

九電の変電所です。  
タグ :ため池


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2011年04月15日

ほたる橋周辺

石原町の集落からJRの石原町駅に行くメイン橋なのですが
ここ数年来の東谷川氾濫に備えて5月中旬まで改修されることに
なりました。この日は上流で河川工事が行われていて水が濁って
いました。
ほたる橋から50m上流に水神様が祭られています。昔はここに
大きな柿木があり水神様の横はヤブツバキの自然護岸でした。
毎年田植えの少し前にお祭りがあります。
水神様からさらに100m上流、子供のころ池田の堰と呼んだ堰が
作られています。昭和30年代の後半にはコンクリの堰が作られて
いて夏の間は子供の格好のプール代わりでした。プール代わりと
はいえ結構深いところもあり怖さと面白さが合い半ばしていました。
私もここで泳ぎを覚えました。
池田の堰からさらに100m上流に大きく川筋がカーブするところ
がありここは「でんでん淵」と呼ばれていました。池田の堰もそう
ですがなぜ「でんでん淵」と呼ばれていたのかわかりません。
ここは淵特有の流れが巻いている所で深さもゆうに2mは超えて
いたと思います。ここはフナやコイが集まるかっこうの魚の巣だっ
たのですが集落の子供はここでは泳ぐことを堅く禁じられていました。
真偽はわかりませんが昔ここで子供が溺れたと聞いたこともあります。
でんでん淵の対岸は今は工場が建っていますが昔はここはススキの
荒地で「日の丸原」と呼ばれていました。ススキの原のさらに前は
集落のグランドのような場所だったと聞いたことがありました。
下流の目倉橋からこの日の丸原辺りまでが石原町の川筋でした。
東谷川はここから先、山ヶ迫の集落となります。



水神様です。堤防がかさ上げされていました。



池田の堰です。古い堰は洪水で流されたようで新しい堰が出来ていました。



でんでん淵です。川底が浅くなっています。土嚢もそのまま残されています。



日の丸原の現状です。昨年の洪水の跡がまだ残っています。
  


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2011年04月05日

JR 石原町駅

JR九州日田彦山線の石原町駅は以前、平尾台のセメント鉱山が全盛の頃は
九州で貨物取扱量が一番でした。そのためローカル線に似合わず駅内の線路
も多くホームも2本設置されています。高校の3年間は通学で大変お世話に
なりました。石原町駅は一応東谷地区の中心駅で今でも無人駅ではなく駅長
さんがいらっしゃいます。駅の周りの旧国鉄時代の官舎はなくなりましたが
駅自体は昔のままです。願わくはいつまでも無人駅にならないことを祈ります。






雰囲気のある天井なのですが照明が「おしい」って感じです。

  


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2011年03月24日

新道寺小学校

東谷地区には小学校が2つ、中学校が1つあります。新道寺小学校に市丸
小学校、東谷中学校です。私は新道寺小学校を卒業しました。当時から生徒
数は少なく私の時は一学年2クラスで28人学級でした。すでに30人以下の
ゆとり教育を先取りしていました。私の時は市丸小学校のほうが大きかった
のですが今はセメント鉱山の事業縮小で生徒数が激減したと聞いています。
私の頃の母校は木造の校舎や講堂が残っていました。すでに取り壊されて
いましたが天皇陛下の写真を飾った建物の跡も残っていました。
当然プールも体育館もまだ建っていませんでした。プールは近くの東谷川の
支流で泳いだのを思い出します。たしか5年生の時に中学にプールが出来
授業で泳ぎにいった記憶があります。そんな母校もいまではすっかり立派
になっています。43年前に私達が卒業記念製作で作ったトーテムポール
が雨風にさらされてかなり痛んではいましたが残っていたのは嬉しかった
ですね。





私が在籍した頃は木造校舎と簡易鉄筋の校舎でした。

体育館とプールです。当時はまだありませんでした。
雨の日の体育の授業は古い講堂で行っていました。

卒業制作のトーテムポールです。まだ残っていました。
体育でお世話になった鉄棒です。当時のままでした。
塀際の桜も昔のままで入学式の頃はきれいに咲きます。

校門正門脇のヒマラヤスギですと二宮金次郎象です。
これも当時のままでした。  


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2011年03月07日

ほたる橋

石原町の集落からJR九州日田彦山線の石原町駅へ向かう途中、東谷川に
架かっているのが「ほたる橋」です。橋には昭和26年架設とあります。
当初は木橋だったそうですが私が小学校へ通った昭和30年代後半には
コンクリート橋になっていました。ここには初夏になると蛍が多く発生
していました。多い時は蛍柱といって蛍が多く群れて光の塊になることも
ありました。当時は川の護岸は自然護岸で蛍の幼虫の餌となるカワニナも
多くいたからでしょう。残念ながら川の様子はすっかり変わって蛍も随分
少なくなってしまいました。





上流に向かって見ています。正面に見える杉の木の下には水神様がおまつりされています。
昔は大きな柿の木があって登って遊んだり、前の川で遊んだりしました。

  


Posted by メドウおじさん at 08:43Comments(0)ふるさとの風景

2011年02月25日

ふるさとの風景

小倉南区の端で田川に隣接する地域で昔から三谷地区と呼ばれる
中山間地があります。東谷、中谷、西谷とよばれ小倉を縦断する
紫川の上流部に当たり、それぞれ東谷川、中谷川、合馬川が支流
として流れています。この中で東谷川はここ数年、毎年梅雨時の
集中豪雨で河川氾濫を繰り返しています。昨年も氾濫し床下浸水で
大変なご苦労された方も多かったと聞いています。
そういうこともあり、東谷川の治水対策で河川改修が急ピッチで
進められています。昭和30年代後半までこの地区の川はとても
綺麗で今はもう絶滅したかもしれないタナゴやオヤニラミといった
貴少な淡水魚も多くいました。今は数少なくなった当時の自然護岸
の残る風景を記録に残しておきたいと思うようになりました。



東谷川では数少なくなった自然護岸です。



上の自然護岸は目倉橋から撮影しました。



目倉橋の一つ上流側の宮前橋脇では昨年の洪水の跡が残っています。
  
タグ :自然護岸


Posted by メドウおじさん at 19:36Comments(0)ふるさとの風景