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2011年12月31日

船頭町通り 名島STREET NO12

名島STREET NO12は船頭町通りです。名島商店街の
裏通りにあたります。ちょっと見るとなんと言うことはない
路地にも見えますが、さすが歴史のある名島地区です。
ここは名島城主として国替えでやって来た小早川隆景公が
以前の領地、竹原から連れて来た水軍の船頭さんたちが
住んだところから付けられました。名島城は海に面し
多々良川河口が天然の外堀になる堅固な城だったようです。
きっと水軍も威力を発揮したことでしょう。





  
タグ :船頭町


Posted by メドウおじさん at 09:25Comments(0)名島Street

2011年12月27日

元船の碇石

鎌倉時代の元寇は文永の役、弘安の役の2回にわたって博多に
攻めてきました。最初の文永の役の時は鎌倉武士団も戦い方が
わからず大苦戦し元軍に博多上陸を許し博多の町は戦禍にまみ
れました。二回目の弘安の役のときは鎌倉幕府も用意周到で
西区から東区にかけて博多湾を取り囲むように強固な防塁を
築き元軍に備えました。東区でも九大箱崎キャンパスの貝塚よりの
小さな公園に防塁跡が残されています。弘安の役では元軍との
戦い方にある程度慣れた鎌倉武士団は奮戦し元の博多上陸を食い
止めました。上陸を阻まれた元軍は仕方なく沖合いの軍船に
引き上げたところで台風に襲われまたしても壊滅的な打撃を
受けました。箱崎宮の碇石は文永の役の元船の沈没船から引き
あげたものだそうです。





  
タグ :元寇 碇石


Posted by メドウおじさん at 17:52Comments(2)街の紹介

2011年12月25日

クリスマス料理

今年のクリスマスも寒いですね。昨年の記録を見てみると
去年もホワイトクリスマスでした。今年は天気予報からすると
もう少し降るかと思いましたがそうでもなかったですね。
今年の我が家はクリスマスバージョンで奥さんの力作で
久しぶりにご馳走です。
ケーキは去年はイチゴの生クリームでしたがことしはチョコレート
クリームにブルーベリーとイチゴのケーキです。
来年は自家製のフルーツで作れるといいのですが、どうでしょう。








昨年のクリスマスケーキです。
  


Posted by メドウおじさん at 10:00Comments(2)etc

2011年12月23日

櫛田神社のご神木

櫛田神社のご神木はイチョウです。清道の横にデンと立っています。
7月の追い山の日は山笠を見守り秋にはギンナンをたわわに実らせます。
ギンナンのなる木は雌木ですから櫛田神社のイチョウは女神様ということ
になるのでしょうか。
ギンナンといえば鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウが倒壊しましたが残った
切り株からは新しい芽吹きがはじまっています。恐竜時代の昔から
生き抜いてきた裸子植物は生命力が強いです。
そういえば東北の一本松も親木は枯れましたが種からの発芽や
接木が成功したそうなのでなんとか生命をつないで欲しいです。





  
タグ :櫛田神社


Posted by メドウおじさん at 19:30Comments(0)街の紹介

2011年12月21日

さざれ石の不思議

国歌の君が代の歌詞にも出てくるさざれ石がなぜか、箱崎宮に
安置されています。さざれ石は君が代の中では「多くの国民」の
たとえとして解釈できますが、別名子持ち石とも言われています。
砂岩質の岩の中に多くの丸い礫岩が含まれているからです。
地質学的には気の遠くなるような期間を経て、砂に埋もれた
礫岩がさざれ石になったと言われますが、もう一つの仮説と
して、とてもミステリアスな話があります。
というのはさざれ石の砂岩の部分が現代のセメントのモルタル
のようで、超古代のコンクリートではないかといわれています。
そういわれれば、丸い礫岩はコンクリの粗骨材のようにも見えます。
また、古代ローマでは現代のコンクリ以上の強度を持つ古代コンク
リが発見されています。さざれ石を見ているとそんなロマンも
感じます。








どうでしょう、コンクリートの塊に見えませんか?
  
タグ :さざれ石


Posted by メドウおじさん at 17:29Comments(2)街の紹介

2011年12月19日

大社 箱崎宮

箱崎宮は923年の創建で応神天皇を主神とする日本三大八幡宮の
一つです。古くから武人の守護神として敬われてきた八幡様ですが
箱崎宮はとりわけ、室町時代末期は大内義隆が豊臣時代は小早川
隆景が関が原以降は黒田長政などが積極的に鳥居や楼門などを
寄進し庇護してきました。楼門には亀山上皇の筆になる敵国降伏
の扁額が架かっていて、元寇の際は国家鎮護の中心ともなっていました。
今も当時の遺構も数多く残っています。現在は方状や放生夜など
博多の庶民のお祭りの舞台として有名です。




 

手前の鳥居が黒田長政が寄進したものです





  


Posted by メドウおじさん at 19:28Comments(4)街の紹介

2011年12月17日

都市高速香椎ランプ

福岡都市高速の香椎出口は現在イオン香椎店の前に下りてきます。
アイランドシティに子供病院の移転の議論が高まっていますが
移転に伴い香草道路のランプをアイランドシティまで延伸する
計画があるようです。病院への時間短縮が目的ですが利便性か
ら言えば一般バス路線を増やして便利にしたほうが良いように
思います。特に香椎駅や千早駅へのシャトルバスなどターミナル
へのアクセス向上は欠かせないように思います。








  


Posted by メドウおじさん at 18:05Comments(2)街の紹介

2011年12月16日

名島火力発電所引込み線道

西鉄名島駅前から国道3号線を渡り名島商店街のメインストリートを
通り国道事務所へ向かう道は以前昭和30年代まで火力発電所への
石炭を運ぶ引込み線が通っていました。今は当時の面影を感じるものは
ありませんが、西鉄名島から微妙に続くカーブに鉄道線路を感じます。
商店街の道筋の壁に当時の写真入りでストリート看板が設置されています。







右側の民家の壁に看板がかかっています。
  
タグ :引込み線


Posted by メドウおじさん at 17:36Comments(0)名島Street

2011年12月14日

冬鳥のサンクチュアリ和白干潟

和白干潟は冬鳥のサンクチュアリとしてすっかり有名になりました。
民家が海岸のすぐ側まで建っていて昔ながらの自然海岸は少ないのですが
干潟は広く残っており水鳥の天国になっています。冬の時期になると
双眼鏡片手の鳥ファンの方が大勢集まります。
冬が終わり鳥たちが旅立つと今度は人間さんのお楽しみの番です。
多くの潮干狩りを楽しむ方が集まります。
結局撮りに良い環境は人間にも楽しさを与えてくれるということだと
思います。そんな和白干潟ですが残念なことに自然海岸が少ないために
意外と野生の海浜植物相は貧弱です。これ以上自然海岸がなくならないように
祈るばかりです。




わずかに残っている和白の自然海岸部分です。
  
タグ :和白干潟


Posted by メドウおじさん at 17:44Comments(1)街の紹介

2011年12月11日

塩浜の波切り不動尊

塩浜一帯は元々塩田で低い土地だったので大波のたびに
水が浸水して大変だったようです。波きり不動尊はそんな
自然の災いから護られるように祀られたものです。
言い伝えでは和白の海から白蛇が海を渡ってきたとのことです。
波きり不動尊はもう一体あるようなのですが詳しい関係は
よくわかりません。東図書館に和白町誌が閲覧できたので
それを見るとはっきりするかもしれません。



塩浜の波きり不動尊です。大切に祀られています。



九州飛行機の工場跡のカタパルト跡です


塩浜の海岸歩道です。きれいに整備されています
  


Posted by メドウおじさん at 20:12Comments(2)街の紹介

2011年12月09日

東区の保存樹

福岡県は保存樹指定に熱心で総数は1500本以上指定されています。
少し前に老司の榎の大木が道路拡張に引っかかった時切るべきか
残すのか議論になりましたが住民の声もあって残されました。
保存j樹に指定されていたのも良かったのかもしれません。
東区の保存樹第一号は箱崎宮の中にあるのを偶然見つけました。
櫛田神社のイチョウほど立派ではなく、太さもそこそこなのですが
どうして第一号になったのかは不明です。
皆さんの近くにも保存樹はあると思うので宝探し気分で探してみると
面白いかもしれません・よく見かけるのは神社やお寺などですが
民家の大きな木は保存樹になっているケースが多いです。



東区の保存樹第一号のイチョウです。
  


Posted by メドウおじさん at 17:00Comments(5)街の紹介

2011年12月07日

大名通り 名島Street No18

大名どおりは名島Streetで名島城の重臣の方々の屋敷が
あったところです。看板に昔の古地図が印刷されています。
場所は二の丸跡のある丘陵の多々良川側の麓でちょうど国道
事務所の裏あたりです。ここは今でも当時のメインSTREETが
生活道路として使われています。旧道沿いには今でも古い旧家が
ありますので名島城重臣の子孫の方々かもしれません。
二の丸から三の丸にかけての丘陵には今でも立派なお屋敷が
何軒か残されています。ちなみに二の丸丘陵には今でも古地図
にある空掘りの跡が残っています。



 クリックすると古地図が拡大されます。  
タグ :名島城


Posted by メドウおじさん at 21:45Comments(0)名島Street

2011年12月05日

郡境石

箱崎宮門前の旧唐津街道沿いに永田パンという古民家町屋造りの
古くからある美味しいパン屋さんがあります。このパン屋さんと
同じく古民家作りの居酒屋の天井桟敷さんの間に旧糟屋郡と福岡市
の境を示す郡境石が建てられています。
昔は現在の東区は大半が糟谷郡に含まれていました。
旧香椎町、旧松崎町もそうでした。境を示すものとしては他にも
江戸時代の国境を示す石碑も各地に残っています。
小郡市の近くに三国というところがありますがここは筑前、筑後
肥前の国境です。いまでも境の石碑があるかどうかはわかりませんが
ちょっと探検気分で探すのも楽しそうです。









  
タグ :郡境石


Posted by メドウおじさん at 15:00Comments(4)街の紹介

2011年12月04日

箱崎宮の筥松

箱崎宮の辺りは元々筥松と呼ばれていました。この地名の元になったのが
本殿脇にある筥松といわれています。松と言うと幹の大きなものを想像
しますがここのものはどちらかというと華奢な感じの松です。
このほかにも箱崎宮は元寇などにも縁が深く、それにちなんだ遺構
遺跡が残されています。





  
タグ :箱崎宮


Posted by メドウおじさん at 17:48Comments(0)

2011年12月02日

アイランドシティの人道橋

長らく工事が中断していたアイランドシティの人道橋の
工事が再開されています。橋桁は以前から完成していて
後は橋梁を渡すだけだったのですが後一区画で完成のようです。
アイランドシティにはこれで4本の橋が架かることになります。
この橋の特徴はなんと言っても歩道専門の橋と言うことです。
これほど立派な歩道専用の橋は見たことがありませんが、香椎
花園から香椎潟を眺めながらゆっくりと散策できるのはいいこ
とです。アイランドシティの名物橋になればいいです。


  
タグ :人道橋


Posted by メドウおじさん at 16:00Comments(0)街の紹介

2011年12月01日

サンダーバードの基地?

アイランドシティにあるサイバー大学の学舎は昔TVでみた
サンダーバードの基地によくにています。
未来志向のアイランドシティにはお似合いの建物だと思います。
エジプト学の吉村作治先生を学長に迎え華々しくスタートした
サイバー大学ですが最近話題をあまり聞きません。全国の学生数の
減少に伴い私学の競争激化の中で生き残っていけるのか、少々
心配です。せっかく話題性のある大学なのでぜひ発展して行って
欲しいです。 


  


Posted by メドウおじさん at 17:03Comments(2)街の紹介