2011年06月17日
小倉城
先日行った北九州市役所の隣に小倉城があります。正確に言うと
小倉城の敷地の一部の勝山公園内に市役所を立てたということです。
以前は確か、遊園地で小さなジェットコースターがあったように記憶
しています。さて、現在のお城の天守閣は昭和35年にCR製で再建
されたものです。小倉城の由縁は戦国時代に山口の大内氏が支配して
いた頃に現在地に縄張りされたようですが、城下町として発展したのは
1602年に細川氏が入府してからです。細川氏の治世は焼く40年で
したが現在残されている城郭の骨組みはこの時作られました。細川氏は
その後肥後の加藤家が改易されたため代わって肥後へ転封となり、その
後は譜代の小笠原氏が入りました。小笠原家の治世は幕末まで続きました
が長州の高杉晋作率いる奇兵隊との戦に破れ城に自ら火をかけ、田川の
香春方面へ落ちていきました。この時城主に代わって小倉軍の指揮を取り
困難な撤退戦を闘った若き家老の逸話が私のふるさとの東谷地域に残って
いますのでいつか紹介したいと思います。


小倉城の敷地の一部の勝山公園内に市役所を立てたということです。
以前は確か、遊園地で小さなジェットコースターがあったように記憶
しています。さて、現在のお城の天守閣は昭和35年にCR製で再建
されたものです。小倉城の由縁は戦国時代に山口の大内氏が支配して
いた頃に現在地に縄張りされたようですが、城下町として発展したのは
1602年に細川氏が入府してからです。細川氏の治世は焼く40年で
したが現在残されている城郭の骨組みはこの時作られました。細川氏は
その後肥後の加藤家が改易されたため代わって肥後へ転封となり、その
後は譜代の小笠原氏が入りました。小笠原家の治世は幕末まで続きました
が長州の高杉晋作率いる奇兵隊との戦に破れ城に自ら火をかけ、田川の
香春方面へ落ちていきました。この時城主に代わって小倉軍の指揮を取り
困難な撤退戦を闘った若き家老の逸話が私のふるさとの東谷地域に残って
いますのでいつか紹介したいと思います。




Posted by メドウおじさん at 08:00│Comments(0)
│ふるさとの風景