2011年04月30日
麻生炭鉱索道跡2
先日麻生炭鉱山田鉱のホッパー跡地の様子をアップしましたが
採掘した石炭の運搬に索道(ゴンドラのようなもの)を使って
いたそうで当時の索道の鉄柱が1本だけ残っています。
場所は山田鉱手前4キロの糟谷町と東区の境の名子の集落の畑
の中に残っています。
この周辺は市街化調整区域なのか昔からの田園風景の残る地域
ですが道路1本向こうは東区の住宅街でそのコントラストが興味を
そそる地域です。
鉄柱は畑の中に赤錆びた姿で立っています。往時は山田鉱まで
田園の中を何本も建っていて石炭を運んでいた様子が想像されます。
採掘した石炭の運搬に索道(ゴンドラのようなもの)を使って
いたそうで当時の索道の鉄柱が1本だけ残っています。
場所は山田鉱手前4キロの糟谷町と東区の境の名子の集落の畑
の中に残っています。
この周辺は市街化調整区域なのか昔からの田園風景の残る地域
ですが道路1本向こうは東区の住宅街でそのコントラストが興味を
そそる地域です。
鉄柱は畑の中に赤錆びた姿で立っています。往時は山田鉱まで
田園の中を何本も建っていて石炭を運んでいた様子が想像されます。
赤茶けた錆びに時間の流れを感じます。
周辺には田園風景が残ります。Posted by メドウおじさん at 08:00│Comments(0)
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