2011年04月18日
ダンベ弁財天橋通り(名島streetNo7)
前回のNo6、七兵衛屋敷跡の高速道路側の通りがダンベ弁財天橋通り
です。ダンベとは石炭のことで名島運動公園にあった旧名島火力発電
所で使われていました。多々良川の岸にある九大ボート部の部室あた
りに発電所の石炭積み上げの港がありました。ダンベ通りの標識がある
公園には発電所の記念碑も残されています。
です。ダンベとは石炭のことで名島運動公園にあった旧名島火力発電
所で使われていました。多々良川の岸にある九大ボート部の部室あた
りに発電所の石炭積み上げの港がありました。ダンベ通りの標識がある
公園には発電所の記念碑も残されています。
正面に見えるのが九大ボート部部室です。
タグ :名島ストリート
2011年04月03日
七兵衛屋敷通り(名島Streets N06)
名島運動公園の反対側高速道路の裏手にN06の七兵衛屋敷跡
が残っています。七兵衛さんは名島城の御用商人で城下の一等地
に屋敷を持っていたことになります。現在の屋敷跡は一部が小さな
公園となっています。次回はダンベ通り(N07)です。
が残っています。七兵衛さんは名島城の御用商人で城下の一等地
に屋敷を持っていたことになります。現在の屋敷跡は一部が小さな
公園となっています。次回はダンベ通り(N07)です。
七兵衛屋敷跡の公園です。10m四方の小さな公園です。
タグ :七兵衛屋敷通り
2011年03月22日
弁財天通り(名島streets No5)
名島弁財天から名島神社へ至る参道です。
ダンベ通りにある弁財天の鳥居から参道を登り弁才天の横を通って
名島神社鳥居へと下る細いとおりです。看板は弁財天鳥居を登りきって
正面に弁才天を見る参道脇に設置されています。
ここから名島神社鳥居へ下るのですが道の脇には古いツバキやシイの木
が生えています。
次回はNo6、七兵衛屋敷通りです。
ダンベ通りにある弁財天の鳥居から参道を登り弁才天の横を通って
名島神社鳥居へと下る細いとおりです。看板は弁財天鳥居を登りきって
正面に弁才天を見る参道脇に設置されています。
ここから名島神社鳥居へ下るのですが道の脇には古いツバキやシイの木
が生えています。
次回はNo6、七兵衛屋敷通りです。
No5の看板は弁天様の参道脇に設置されています。
境内は立派な伽藍と巨木があり歴史を感じます。 タグ :名島弁才天
2011年03月03日
黒崎海岸通と縁の石
名島Streets No4は黒崎海岸通です。この海岸の浜は古くから
アサリの名所で人口浜になった今でもシーズンになると多くの
人で賑わいます。この海岸一帯は神功皇后ゆかりの遺跡も多く
この看板のそばには「縁の石」があります。三韓遠征のおり
皇后が腰を下ろされて休憩した石との言い伝えがあります。
道路より一段と低い、まるで穴の中におかれているように見える
のは人工海浜を作るのに大量の砂を投与したためと思われます。
以前は渚にあったものと思われます。
アサリの名所で人口浜になった今でもシーズンになると多くの
人で賑わいます。この海岸一帯は神功皇后ゆかりの遺跡も多く
この看板のそばには「縁の石」があります。三韓遠征のおり
皇后が腰を下ろされて休憩した石との言い伝えがあります。
道路より一段と低い、まるで穴の中におかれているように見える
のは人工海浜を作るのに大量の砂を投与したためと思われます。
以前は渚にあったものと思われます。
この道路の左側には公園緑地になっていますが、以前は渚だったと思われます。
昔は海水浴場でした。
神功皇后ゆかりの縁の石です。タグ :黒崎海岸通 縁の石
2011年02月28日
名島通りNo2(帆柱海岸通り)No3(帆柱通り)
妙見通りから海岸沿いに名島神社方面に向かったところに
帆柱海岸通(No2)と帆柱通り(No3)の看板があります。
この近くの海岸には帆柱石と呼ばれる天然記念物の巨大
桂化木の化石があります。この石は神功皇后の三韓遠征
にまつわる伝承があり、ほかにも神功皇后由縁の物がい
くつかあります。ここの浜は来月になって水がぬるむ頃に
なるとアサリの採集も出来ます。
帆柱海岸通(No2)と帆柱通り(No3)の看板があります。
この近くの海岸には帆柱石と呼ばれる天然記念物の巨大
桂化木の化石があります。この石は神功皇后の三韓遠征
にまつわる伝承があり、ほかにも神功皇后由縁の物がい
くつかあります。ここの浜は来月になって水がぬるむ頃に
なるとアサリの採集も出来ます。
NO2の帆柱海岸通の看板です。
妙見通りに続く海岸沿いにあります。
帆柱通り看板です。
この道路の海側に昭和9年指定の天然記念物帆柱石があります。
タグ :帆柱通り
2011年02月27日
Najima-Streets No1(妙見通り)
Najima-StreetsのNo1は妙見通りです。31ある通り名看板の
第一号です。旧名島界隈の一番端ですからNo1にふさわしい場所です。
妙見島は昭和30年代の初めまで砂州でつながった小さな島でした。
ここでは昔博多商人が当時の城主小早川隆景を招いて茶会をしたそうです。
当時の井戸も妙見島には残っているそうですが今は某宗教団体の建物に
なっていて自由に見ることは出来ません。
妙見通りです。名島海岸に沿っていて正面に妙見島跡が見えます。(緑の小高い丘の部分です)
昔の妙見島です。砂州でつながっていました。
第一号です。旧名島界隈の一番端ですからNo1にふさわしい場所です。
妙見島は昭和30年代の初めまで砂州でつながった小さな島でした。
ここでは昔博多商人が当時の城主小早川隆景を招いて茶会をしたそうです。
当時の井戸も妙見島には残っているそうですが今は某宗教団体の建物に
なっていて自由に見ることは出来ません。
妙見通りです。名島海岸に沿っていて正面に妙見島跡が見えます。(緑の小高い丘の部分です)
昔の妙見島です。砂州でつながっていました。
妙見島に残されている井戸です。
タグ :妙見通り
2011年02月24日
Najima Streets探索
名島公民館に事務局を置く「名島校区語り部の会」という集まりがあります。
名島地区の歴史を発掘、伝承、顕彰されています。
名島地区を散策していると路地のここそこに、通り名とその由来が書かれた
看板を見かけます。語り部の会の皆さんが以前設置されたそうです。
この設置一覧のMAPがあると聞いたので公民館へ出かけ拝見させていただけ
るようお願いしたところ、MAP自体は当時から大変好評でもう在庫が無い
とのことでした。一枚だけ額装したものが会議室に飾ってあるということ
で許可を頂いて撮影させていただきました。看板は全部で31箇所あり、MAP
がなければとても見つけきれるもので無さそうでしたので大変助かりました。
このMAPを頼りに探索していきたいと思います。
名島地区の歴史を発掘、伝承、顕彰されています。
名島地区を散策していると路地のここそこに、通り名とその由来が書かれた
看板を見かけます。語り部の会の皆さんが以前設置されたそうです。
この設置一覧のMAPがあると聞いたので公民館へ出かけ拝見させていただけ
るようお願いしたところ、MAP自体は当時から大変好評でもう在庫が無い
とのことでした。一枚だけ額装したものが会議室に飾ってあるということ
で許可を頂いて撮影させていただきました。看板は全部で31箇所あり、MAP
がなければとても見つけきれるもので無さそうでしたので大変助かりました。
このMAPを頼りに探索していきたいと思います。
名島公民館です。語り部の会の事務局があります。
公民館には昔の写真などが飾ってあります。
詳細をごらんになりたい方は左のサムネイルをクリックすると大型に拡大されます。タグ :名島ストリート